はじめに |
学級崩壊、いじめ、校内暴力、登校拒否など……次々に起こる子供たちを取り巻く
問題はそんな子供に育てた私たちの問題ではないでしょうか。まず、自分たちが危
機感を持つこと。子供たちに起きる問題を他人事と考えず、社会や学校に責任転
嫁せず、自分たちの子育てに何か問題はないのか、思春期といわれる中学生頃
から顕著になる様々な問題の芽はもっと小さいころからのかかわり方こそ大切な
のではないかという問題意識を持つことからはじめました。
「子育てに正解などない」といわれればその通りでしょう。しかし、いま現実に問題
が起きている以上、それを放っておくことはできないのではないか、自分たち父親
として責任を持ち、何かできることをしようという認識の元で、みんなで意見を出し
合い、いろんな子育ての経験や考え方を出し合いました。
おやじの会で月に1回行われるスタッフ会議の中で「おやじ会議」の時間を設け、
自分の子育てや子供とのかかわり方に対して再検証をする機会を持つことにしま
した。
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おやじと子供の関係 |
おやじと子供の関係はどうあるべきか。むかし「カミナリおやじ」と言われた典型的
な厳格な父親像と今の時代に見られるやさしい友達感覚の父親像の間でどのよう
な問題があるのか、意見を述べてください。
まず子供と父親は友達になれるかということで意見を述べて欲しいのですが
なれると思います。我が家では私は子供と一緒になってテレビゲームもするし、
マンガも読みます。私自身が子供のレベルで遊ぶようにしています。キャンプをし
たりプロレスごっこなどをして一緒に遊んでいます。
父親と友達の区別という点で問題になりませんか。しめしといった面で…
それは問題になりません。叱るときにはビシッと叱りますし必要とあれば手も出し
ます。その点ではむしろ他の親御さんよりは厳しいと思っています。うちには私の
親と同居の3世帯家族で基本的な挨拶などにはじまる上下関係をはっきりさせるこ
とをたたき込んでいます。
ある面ではきびしさもある「カミナリおやじ」なんですね。
そうかもしれません。でも信頼関係が出来ていれば多少怒っても子供はついてき
ますよ。遊ぶときは遊ぶ、友達と父親は両立できます。
それはふだんからの濃密な関係が出来ているからなんですね。しかし皆さんの
中には仕事が忙しいなどの理由でそこまで濃密な関係は出来ないという方もいる
と思いますが。
耳が痛い。仕事が遅いので子供と関われるのは土日ぐらいですね。
子供との関係はどうですか。
どうでしょうか、父親というものをどの程度意識しているかどうか。私なりに努力し
ています。
子供に父親を意識させるつまり父権の部分だと思うのですが、男女同権を云わ
れる今日、必要かどうかも含めて意見が欲しいのですが。
役割分担という意味で必要だと思います。父親にしか出来ないこと、逆に母親に
しか出来ないことが現実問題としてありますし、それが自然じゃないでしょうか。た
だそれに逃げてはいけないと思います。父親だから何もしないでふんぞりかえって
いるというのはどうかと。
「問題行動を起こす子供の親のほとんどが、
親として子供に対する役割を放棄している。」
私は精神医療の現場で働いているのですが、情緒不安定などで病的な子供の
親のほとんどが、子供に対する役割を放棄しているという印象が強いです。子供と
の関係を作ろうとしない、どうしていいかわからない。はじめから子供から逃げてい
るケースがほとんどです。逃げる親を引き留めようと子供が病気になってかかわり
を求めているという感じですね。
あたりまえのことですが親は子供との信頼関係をつくる、態度で示すということが
大切なのですね。薄っぺらな関係じゃ子供はすぐに見破ってしまう。「親は表面上し
か見ていない」とか「えらそうにしているけど全然誠実じゃない」とか
小さいころ子供にとって父親は力においても知識においてもスーパーマンなんで
す。ですけどそれが崩れたときのショックが大きいと、社会全体に不信感を持って
しまう。大きくなって世の中の仕組みが理解できるようになってくれば「父親だって
人間なんだから弱い面もある」と受け止めてくれるわけですが、いまはその幻想を
崩すタイミングが早すぎる。
母親の影響は大きいと思いますね。母親が「お父さんはごろごろしてばっかりで」
なんて態度じゃ、子供が父親を尊敬なんかするわけが無いでしょ。現実問題、母親
といる時間のほうが圧倒的に多いのですから、父親像の半分は母親が創ると云っ
ても過言ではないと思います。
テレビ番組でやっていましたが、ある単身赴任のお父さんのことをその子供たち
が非常に尊敬しているんですよ。お父さんは半年に1度ぐらいしか帰ってこれない
んですけど、子供たちは普通の子以上にとても思いやりのある子に見えました。そ
れはやはり母親が立派なんですね。単身赴任のお父さんのことを常に子供たちに
意識するように仕向けているんです。たとえば、お父さんのゲタを常に玄関に揃え
ておくとか、誰のために父親が単身赴任までして一生懸命働いているのかといった
ことを事あるごとに話しているんです。
結局カミサン教育が必要ということなんですかね。
協力してもらうということだと思いますね。うちでは便宜上、家の中ではお父さん
がいちばん、お母さんが2番、その次が長男、そして下の子ということにさせてくれ
とカミサンと話し合いました。上下関係をしっかりしてやらないと子供たちは何を基
準に行動していいか判らなくなって不安定になりますから。もちろん子供の前でお
互いをけなすような言葉づかいや態度をしない。そのほうが子供のため、しいては
家庭がうまく行く知恵だということで理解してもらっています
カカア天下でもいいんです。はっきりさせたほうが子供には分かりやすい。人は
考える以上に精神的動物で絶対的な存在が必要なんです。欧米ではそこに神が
いて「人はパンのみに生きているにあらず」といわれます。男女同権の意識はちが
うレベルの話ですよ。
あとはおやじがそういったことに甘えないこと。カミサンの不満がたまるようだと逆
効果ですよね。えらそうにするだけで何もしないじゃないかと。子供にはすぐ伝わっ
てしまいます。協力してもらうからには逃げ出してはいけない。
「父親というのは理不尽な存在でいいと思う。」
私は父親というのは理不尽な存在でいいと思っています。世の中には理不尽な
ことがたくさんあって、何もかも正しいことばかりじゃない、複眼的な思考を持たな
ければ弱いと思います。最近の子供が切れやすいというのも、正しいことばかり教
え込まれすぎて、現実とのギャップを埋める訓練をしてこなかった結果じゃないでし
ょうか。
我慢させるのはかわいそうだという風潮がある。友達はあれを買ったのにうちの
子が持っていないのはかわいそうだとか。本当にかわいそうなのは、我慢すること
も教えてもらえず、欲望の固まりのように育てられたことで、与えられっぱなし何事
にも満足できず、すさんでゆく子供だと思うんですが。
おやじが子供に与えなければならないものは何か真剣に考えなければいけませ
んね。少なくとも子供の欲しがるものをただ買い与えることではない。モノは気持ち
を伝えるためのツール、ひとつの手段に過ぎない。要はいかに子供とコミュニケー
ションをとって、いい意味でも悪い意味でも子供との濃密な関係を作るかということ
ですね。
ちゃんとした関係ができていないと、「カミナリおやじ」だろうが「やさしいお父さん」
だろうが子供たちにとって不幸だということでしょう。
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体罰について考える |
前回はおやじと子供との関係についてお話していただいたわけですが、父権の問
題など、意見が分かれそうな微妙な問題も話し合われました。おやじ会議ではそう
いった微妙な問題こそ、いろんな意見を出してもらって、それぞれの方の判断の材
料にしていただきたいと思います。今回のテーマは「体罰」の問題です。ご存知の
ことと思いますが、学校現場では体罰は禁止、やってはいけないということになって
います。ただ体罰と云った言葉の意味を含め、その範囲、精神的な暴力、学校現
場以外の家庭での体罰はどうなのかなどを話し合っていただきたいのです。
私は長い間高校の教育現場にいますが、一度だけ生徒を叩いたことがありま
す。校外学習中にその生徒が行方不明になり、みんなで心配していたところで見
つかったときの本人の確信犯的態度が我慢ならず、思わず手を出してしまったの
です。しかしそのことで、その後の、私とその生徒の関係は切れてしまいました。私
自身は、しっかりとした信頼関係ができていると思い込みがあったのかもしれませ
ん。いまは反省しています。
教師という立場ではできることとできないことがあるということではないでしょう
か、信頼関係ができていたと思い込んでいたといわれましたが、40人近くの生徒す
べてとしっかりした信頼関係を築くことなんて現実問題として無理があると思いま
す。
これが先生でなく、親なら問題は別ですよね。否応無しに濃密な関係が持てるの
ですから。本来ならそういった基本的生活態度をしつけるのは親がやるべき問題
です。このケースの生徒は高校生ですから、いまさら教師の体罰で効果があると
は思えません。
「廊下に立たせる」というのは体罰になりますか。
廊下に立たせるということは「授業を受ける権利」を侵すことになるようです。です
から立たせるなら、教室内でということになりますが、これもみんなの前で晒し者に
なる精神的体罰だという人もいます。
でも特定の子が騒ぐことによってほかの子がちゃんとした授業が受けられない。
その結果教室全体が荒れてくるいわゆる学級崩壊が問題になっています。「ちゃ
んと授業を受ける権利」もあるとおもいますが。
学校によって対応は違うと思いますが、そういった児童は別の教室で個別に指
導するというところもあるようです。やはりちゃんとした授業を行えるようにする責任
がありますから、大変でも対応しなければなりません。
基本的な生活態度ができていない子がどんどん増えていますから、学校も大変
ですよね。これは私たち親の問題として考えなければいけませんね。
「基本的な生活態度をしつけるのは親の役割。
学校に押し付けるのは無責任」
しつけまで学校がやってくれという親が多すぎますよ。親が甘やかすだけ甘やか
しておいて、学校にきちっとやってくれなんて虫が良すぎます。教師は40人を相手
にしなくっちゃならないのに、親は自分の子だけなんですから。
何でも厳しく対処すればいいというものでもありません。子供それぞれに個性が
あるので、そこを見極めなければならないでしょう。たとえばはじめから気の弱い子
供にあまり厳しくあたると委縮してしまって、自信喪失のようになっても困ります。精
神的な病気の子供に元気がなかったり、登校拒否を起こしたからといって、「がん
ばれ」とか励ますのは逆効果です。要は親がどれだけ理解して対処するかでしょ
う。
大阪の方に「登校拒否」の子供を扱う民間のカウンセラーがいるのですが、学校
に相談しても、市の相談員に相談しても一向に改善しなかった子供たちの 8割を
平均 1週間で復学させている人がいるんです。その人は子供には何もしません。
母親に「〜しなさい」という意味の言葉とそれにつながる行動を禁止しただけなんで
す。紙にこれこれの言葉を使っちゃいけない、子供の世話を一切してはいけないと
いうのを書いて実践させただけ。
つまり過干渉を禁止したんですね。「あれをやりなさい、これをやりなさい、早くし
なさい、きょうはどうだった」など親は無意識に指示ばかりしていると。
そうです。ほとんどの子供がそれだけで学校に行きたくなるようです。家にいても
つまらないからなのか、自分で何かしなければならないという危機感をもったせい
かわかりませんが、そのカウンセラーが云うには父親の無関心、母親の過干渉を
治せば、子供に問題はないといっています。
いまの子供は殴り方を知らないから、すぐナイフを持ったりして人を殺しちゃうと
ころまでいっちゃうんじゃないかな。暴力はいつも身近にあるんです。なくすことは
不可能なのに。
僕は小さいときからの育てられ方に問題があると思うんです。たとえば3〜4歳の
子供たちが遊んでいて、ともすると殴りあいの喧嘩になりますよね。すると親がすぐ
出てきて止めてしまう。僕はよほどのことが無いかぎり止めないことにしているんで
すよ。
でも殴り合っていたら止めますよ。親が暴力はいけないということを教えないから
乱暴な子が増えるんですよ。繰り返し注意することで、やっていいことと悪いことを
覚えるんじゃないでしょうか。
小さい子ですから目でもやらないかぎり大事にはなりません。お互い痛い思いを
すればそこから学ぶことも多いと思うのですが。親が止めるのはケガの心配よりも
子供の向こうに相手の親の顔を見ているからなんじゃないでしょうか。
大事になってしまってからでは遅いんです。相手の子の目が見えなくなったら相
当の覚悟が必要になります。
責任をとるということですよね。子供の教育にかかるリスクの問題だと思います
が、これは親の判断だと思うのです。人を殺す可能性があるから車には乗らないと
いうひともいるでしょう。そういう判断もあっていいと思います。僕がいいたいのは、
小さな暴力まで封じ込めると本当に取り返しのつかない時期に大きな暴力となって
噴出してしまうことです。
いじめは陰湿な形で出てきた暴力ですよね。小さいころから繰り返し「いけないこ
とだ」と教えていかなければいじめはなくならないと思います。
「僕たちにできることは、多少の障害なら
乗り越えてゆけるタフな子供に育てること」
現実問題そこまで細やかに対応できる親ばかりではありません。それができてい
ればいまの子供たちの問題なんて起こらないんです。僕たちにできることは、多少
の障害なら乗り越えてゆけるタフな子供に育てることです。
欧米では10才を過ぎた子供には体罰は無意味という認識もあるようです。しかし
幼児期の子供にはけっこうビシビシやるみたいですね。
子供の性格や状況、年齢などを踏まえて親が真剣に考えなければいけません
ね。「男はタフでなければ生きてゆけない。やさしくなければ生きてゆく資格がない」
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子供たちを取り巻く社会環境 |
今回は子供を取り巻く地域、社会の問題について話し合ってほしいと思います。
とりわけ子供が接する地域として大きな位置を占めるのが学校ですが、おやじ会
議が基本としているのは地域や社会が悪いとするのではなく、そこに問題がある
のであれば自分たちがつくりあげたものという自覚の上で何ができるかを話してほ
しいと思います。
まず親に学校が荒れているという認識があるかどうか、校内暴力とは行かないま
でも、授業中騒がしい、席に座らない、机の上に座る、モノが無くなる、トイレや保
健室に頻繁に行くといった「荒れる学校」一歩手前の教室はいっぱいあるはずで
す。
教師がしっかり叱らない。また叱っても効き目がない。大人に対する畏怖感がは
じめからないんです。基本的に大人をなめている。親にしっかり叱られたことのな
いかわいそうな子供なんですね。教師だってそんな子をどう指導していったらいい
のでしょうか。プロだと云っても限界はありますよ。
「基本的に大人をなめている。
親にしっかり叱られたことのない
かわいそうな子供なんですね。」
教師の指導をしっかりバックアップする社会的風潮が必要なのでは。体罰の問
題とかかわってきますけど、ある程度強制的な権限を教師に与えてあげないと本
当の意味での指導なんてできないと思う。事情をよく知らない親やマスコミが変な
意味でうるさい。責任を教師におしつけ過ぎです。
いまの社会的な風潮は「間違っている」と判断すべきです。それで教育してきてこ
れだけ問題ばかりなのですから。自分たちのしてきたことを間違いだと認めるのは
すごく勇気のいることなんですが、現実を冷静に見つめ、「子供たちは純真だ」み
たいな希望的なきれいごと、非現実的な考え方は通用しません。
僕にとってはいまの若い人の社会的通念自体がとんでもないわけですよ。髪の
毛を茶色や白髪の様に染めたり、ピアスをして中高生で携帯電話をもって大声で
しゃべる。服装は下着のようなものとかだらしない。つばを吐いた地面に平気で座
ったり、人前で平気で抱きあう。こんなことは僕の感覚ではだめです。
何をするのも自由だと言いたいんですよね。自由と勝手を取り違えている。自由
なんてそんな簡単に手にしてはいけないものなんです。責任を伴って自立した人間
にだけに許される貴重なものですよ。精神的にも経済的にも自立していないのに
子供に自由らしきものを与えてしまっている親の責任ですね。
自分の中で基準をしっかり持たなくてはいけない。そうしないと何となく耳触りの
いいほうに流されてしまう。非現実的、きれいごとでもそれに合わさないといけない
気になってくる。自分なりの価値観をしっかり持たなければ子供たちにこれはいけ
ない、あれは良いといった判断ができない。
日本人にはみんなと同じじゃないと不安という意識が強い。それでいて個性重視
なんていっているんです。同じにしなければならないのはおもちゃやモノではなく社
会的な生活ルールです。
それがすごく難しい。言葉で教えるだけでは身に付かないんです。からだとは云
いませんが、経験から繰り返し学んでゆくしかない。だから過保護はいけないんで
す。本当の意味での集団生活や体験が不足しているんだと思います。
小学生の段階ならまだやり直せるはずです。なのに自分のいうことなんて聞かな
いというふざけた親がいる。あきらめが早すぎる。うまく育てばラッキーですが、人
でも刺したら「自分がやったことじゃない」と逃げるんでしょうか。
怒り方も工夫する必要がありますよね。感情的に怒るのはどうかと。わたしは子
供の目線まで下がって、何で怒られたかまで説明することにしています。
僕はあまり説明することには反対です。感情的でもいいと思っています。あまり説
明すると子供は本当の意味を理解できなくて混乱すると思うのです。何で怒られた
か自分で考えさせるのが一番ではないでしょうか。
怒るにしても子供の逃げ場をつくってやらなければいけませんよね。たとえば父
親が怒ったなら母親がフォローに入るとか、怒り役と慰め役といった役割分担が必
要ですよね。子供にとっては自分のいる場所がないというのがいちばんつらいこと
ですからね。
子供会みたいな地域活動で人間的つながりを強化していくのもいい方法だと思
います。子供にとっては家庭、学校、町内といった人間関係を作る場所をたくさん
持っていたほうがいい。だけどやれば楽しいのに親が面倒がるんですよね。もっと
余裕をもってほしいな。
「自分だけがよければいいという考え方が
子供にあるとすれば、
それは親がそう思っている」
コミュニケーションの基本ですよね。子供は親の背中を見て育ちます。親が地域
活動に消極的なら子供もコミュニケーションなんか取らなくていいんだと思います
よ。自分だけがよければいいという考え方が子供にあるとすれば、それは親がそう
思っているということなんです。
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母親との関係について |
今回は母親をテーマに語っていただきたいと思います。母親のあそこが良いここ
が悪いというのではなく、あくまで子供に最も影響を与える存在として母親、その母
親に父親がどんなことができるのか、できていないのかを話していただきたいと思
います。
父親の問題点として男の包容力がなくなっている気がしますね。母親は家の中で
孤立している。家族、地域などのつながりが希薄になっていく中で、母親は自分を
表現する場が少ない。評価してもらえない。夫が励ましたり、評価してあげることが
必要なのではないでしょうか。
自分の場を作る、地域的なつながりという意味ではPTAなんかも結構いいんです
けどね。いまは役員になることを渋る人が多くてやってみると結構やりがいがあっ
て、人とのつながりができてよかったという人も多いんですが。
父親が仕事を逃げ場にしている。仕事だから仕方ないということは、一時的には
あるでしょう。しかし、仕事だと云っても毎日一年中眠れないほど忙しいわけではな
い。一日は24時間しかないわけですから、その中で仕事をして食事をして眠るとい
う「予定」を立てているんです。つまり家に早く帰るという「予定」を立てる気があれ
ば帰れるわけです。
現実問題、会社内の立場もあるし早く帰れないことが多い。しかたなく妥協する
部分を常にかみさんと話しあいながら家族と接しなければならないと思います。逃
げないで父親として闘っている姿勢と価値基準があれば、かみさんの理解を得ら
れると思うし、子供に愚痴をこぼすことも少なくなるでしょう。
僕は自分のおやじから構ってもらった経験はあまりありませんでした。しかし社会
の状況が子供が甘えることを許しませんでしたし、おやじというのはいまより遠い
存在で母親もそれを認めている状況があったと思います。ノスタルジックな意味で
はなく父親は偉かったんです。
「間違いのないように指示ばかりされていると、
子供は間違いから学ぶことができない。」
親から「間違いのないように」指示ばかりされていると、子供は間違いから学ぶこ
とができない。転ぶのは危ないといって歩く練習をさせないようなもので、危ないこ
とや間違いもさせて痛い目に合わないと自分で間違いを避ける訓練ができない。
徐々にトレーニングすることによって自分で考える力を付けていくんだと思います。
子供がいま簡単に「キレる」というのもこの辺に原因があると思うんです。我慢を
するというとトレーニングが不足している。我慢の沸騰点が低いから普段は良い子
でも沸騰点を越えた出来事があるとどうして対処していいか解らずに混乱してしま
う。先生に怒られたとかは、症状やきっかけであって、ほんとうの原因は育った環
境にあることを自覚しなければなりません。
外遊びの中の危険や友達との会話といった人間関係が大事なトレーニングにな
るのに極端な早期教育や家の中でテレビゲームばかりするのを許してしまう。もち
ろん程度の問題ですがいまはそういったことを親が意識して子供に向かい合わな
いととんでもないモンスターを生んでしまう土壌があるんです。
こういったことは夫婦の間で話し合って子育ての進め方を決めてゆかないと危な
いですよね。「おやじ」の役割は価値判断の基準をしっかりするということです。子
供に迎合しないおとなの価値観を持つことが必要じゃないでしょうか。自分の中の
常識にこだわらず、ひとつひとつもう一度かみ砕いて消化した自分なりの基準を持
つ必要があると思います。
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からだからのメッセージ |
今まで子供たちの精神的な部分を論じてきましたが、原因のひとつに体から来る
問題もあると思います。不規則な食生活や就寝時間などでリズムが乱れて学校生
活がうまく送れないということがありますよね。
子供はリズムを調整する能力が未発達です。ひとが寝たり起きたりするにはホ
ルモンの分泌が関係するんですが、こどもにはそのホルモンを出すための規則正
しい生活という訓練が必要なんです。
いま平均体温が35℃台の子供が増えているそうです。そういう子は汗をうまくか
けない、体温調節が下手なんです。空調が調った部屋で体も動かさず、部屋遊び
に長じているという環境が自律神経の発達を阻害しているんですね。
「キレやすい」というのも感情を抑えるホルモンを出す訓練が足りないとも云えま
すね。感情をコントロールするには人間関係やコミュニケーションの様な適度なスト
レスが必要だということです。
ストレスというといけないもんだという誤解がありますよね。どんな状況にもストレ
スはあるんです。社会に出てそれを避けるのはむずかしいのですから克服してゆく
訓練をするべきなんです。
食生活の問題も大きいと思いますよ。朝食抜きの子供も多いそうですけど、腹が
減ると怒りっぽくなるのはよく云われることですし、カルシウム不足がひとをイライラ
させると云われています。
規則正しい生活ということは医学的見地からも大切です。まさに「健全な精神は
健全な肉体から」といいますからね。
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まとめ |
私たちはこの一年間様々な問題を真剣に話し合いました。人それぞれの子育ての
流儀があるとはいえ、子供たちは社会共通の財産でもあります。そして安全な社
会は世界に誇れる日本の財産であり、いまそれが壊れようとしています。地域の
教育力低下が云われる中、何とか現状を打破する方向性を示せればと考えており
ます。
■ストレスやいじめに負けない
タフな子供に育てましょう。
いじめに走ってしまう子は自分に勝てず、精神的ストレスに弱い子です。それをし
ないためには多少のことなら跳ね返すだけの強さを持った人間に育てるほうが現
実的だと考えています。日頃から子供を甘やかしすぎず、心身ともに少しずつスト
レスを与えながら、克服してゆく訓練をさせなければなりません。それができるの
は愛情と時間を割くことのできる家族しかないのです。
■親の過干渉、無関心を改めましょう。
過干渉は指示待ち人間を生み、自立を阻害します。子供はやることが遅くて当たり
前なのです。先回りをせず、失敗も経験と割り切ってできるだけ子供に考えさせ、
やらせましょう。無関心は子供を不安定にし、社会に対する不信感を生みます。し
っかりとした価値観を持ち、自分で物事を考えられる子供に育てたいと考えます。
■人の気持ちを理解できる人間に育てましょう。
痛い思いをしたことのない子は人の痛みを理解できません。私たちは小学校のレ
ベルでいちばん必要な「教育」は「経験」であると考えます。失敗も含めた様々な経
験こそ健全な精神の基礎を作る大切な栄養だと考えます。小学生という大事な時
期に知育偏重の教育やテレビ、ゲームなどに多くの時間をとられると閉鎖的で人と
コミュニケーションのとれない人間になる可能性があります。
■勇気の大切さを説きましょう。
援助交際や人の迷惑を気にしない子供たち。自由という責任を伴う高度な概念を
誤解し、勝手気ままに振る舞うこともよしとされる風潮に私たちは同意しません。本
当の幸せとは金銭や物質的なものよりも精神的な安定感、達成感にこそあると考
えます。利己的なことはあえて選ばない勇気、プライドが必要な世の中ではないで
しょうか。日頃からその大切さを子供に説くことを提案します。 |
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